新春特別インタビュー2012

軟式野球部を16年ぶりに全国大会導いた、名将・福田匠氏に直撃!

 新たな年を迎えた我らが母校・法政二高、そして法政二高OBたち──。

 2012年、法政二高OBは全国を股にかけての活躍を展開しています。今回、そんなOB達の中から、昨年16年ぶりに法政二高軟式野球部を全国大会へと導いた、軟式野球部前監督・福田匠さん(67期)にインタビューを敢行しました。

 聞き手は、法政二高同窓会の期待の若手・田所健太郎副理事長(65期)。未来の法政二高同窓会の担い手がここに豪華対談です!

左から田所健太郎副理事長(65期)、福田匠さん(67期)

(2011年12月11日、法政大学市ヶ谷キャンパスにて)

田所副理事長 本日はよろしくお願いします!
 まず、最初に伺いたいのですが、今年の夏に福田さんは監督として、法政二高軟式野球部を全国大会へと導いたわけですが、監督就任の経緯についてお話しを伺えますか?

福田さん はい、自分が軟式野球部の監督を始めたのは大学入学から3ヵ月目のことでした。監督自体を正式にやり始めたのは7月だったのですが、実はその前から「内定」のようなものがありまして監督をやらせていただくことになりました。

田所副理事長 「内定」なんていうものがあるんですか?

福田さん そうですね、前の監督の方も法学部の方でその先輩から『バトンタッチするから・・・』というお話しをいただいていたんです。

田所副理事長 そうなんですか。実際引き受けることになっていかがでした?

福田さん 自分は小学校からずっと野球をやってきたんですが、監督に就くことによってまた違った意味での野球に出会えるかなと思って、引き受けたところはありますね。あと、自分は中学・高校とずっと部活のキャプテンをやらせていただいていたので、ある程度監督という立場に近いところで活動してきていました。その中で『自分だったらチームをどうするか・・・』という部分を考えたことがあったので、そういうのを発揮できる機会を得たと嬉しく思っていました。

田所副理事長 なるほど。「監督」っていうとても大きな責任を負うものにいきなりなることに抵抗ありませんですか?

福田さん そうですね、自分は学生のうちに監督就任ということだったので、先生が監督になられるのとは異なる部分に多少「気遣い」がありました。選手との距離感ということで、先生が監督の場合だとなかなか私生活が見えないところもあるので、ある程度「正論を並べる」的なところでなんとかなってしまうところがあるのだと思うのですが、自分の場合は自分が高3の時に高1だったメンバーが選手としているので、その中で自分の高校時代の生活も見られている部分があり、そこが難しいところでした。例えば、彼らにどれぐらいの態度で言っていいのだろうとか、色々考えるところがありましたね。

田所副理事長 なるほど、確かに自分の高校時代の私生活部分を知られていると悩ましいですものね(笑)

福田さん はい(笑)

田所副理事長 監督として采配を振るう段階で、学生監督ならではの悩みがあったのですね。これに関連してなんですが、試合に際して多くのOBの方が見えられましたけれど、緊張しませんでしたか?

福田さん はい、毎回緊張しました。特に、去年のメンバーから「今年のメンバーは強い」という声が挙がっていてその中で自分が監督になったので、そういう部分にプレッシャーはありました。

福田 匠さん(67期)
2007年、法政大学第二中学校卒業後、法政大学第二高等学校入学。在学中は軟式野球部に在籍し、2010年卒業。法政大学法学部国際政治学科に入学し、同年7月から2011年8月まで法政大学第二高等学校軟式野球部監督を務め、2011年に軟式野球部を全国大会へと導いた。

田所副理事長 そうですか、大和引地台球場や明石トーカロ球場での試合を拝見したのですけれど、そういう プレッシャーの中での采配と言うことだったのですね。そういえば、その頃に二高の硬式野球部が惜敗して注目が一挙に軟式野球部に集まりましたね。福田さんはご経歴を拝見したら法政二中以来ずっと「軟式一筋」ということで・・・。

福田さん いえ、中学では軟式野球でしたが、高校入学後、その夏までは硬式野球部に所属してその後に軟式野球部に転部しました。実はケガをしてしまいまして、その間に選手決定がされてしまって「そうした状況ならば自分が思いっきり活躍できる場でやってやりたい!」と思ったことから転部を決めました。

田所副理事長 そうなんですか、はじめは硬式野球だったのですね。では、硬式・軟式いずれも体験された身としてどうですか、両者のギャップは(笑)

福田さん ギャップですか・・・(笑)

田所副理事長 硬式野球部ばかり注目されていますけれど、ぜひ軟式野球部にも注目してもらいたいですね!それにしましても、ずっと「勝つ、勝つ」って言われ続けて春から勝ち進んだじゃないですか。そのプレッシャーは余計に大きくなりませんでしたか?

福田さん そうですね、ずっとプレッシャーでしたね。

田所副理事長 春の関東大会で勝って、夏も県大会・関東大会と進み、そして全国に16年ぶりの進出を果たし、そして新聞に取材されて(笑)神奈川新聞でしたか、大きく「監督采配スバリ!」という記事が載りましたね(笑)

田所 健太郎副理事長(65期)
2005年、神奈川県相模原立田名中学校を卒業後、法政大学第二高等学校に入学。在学中は生徒会中央委員を経て、第45代生徒会長を務め、その功績から2008年の卒業時に同窓会長賞を受賞する。2008年に法政大学社会学部社会政策科学科に入学し、現代政治分析を専攻している。2009年から法政大学第二高等学校同窓会副理事長を務める。

福田さん はい(笑)なんか自分だけが注目されてしまったところがあるんですけど、自分としては前の監督さん、更に自分が現役時代の監督さんが素地を作ってくれた中での自分の「学生監督就任」ということを感じていたので、ちょっとした「違和感」のようなものはありました。特に、選手の姿勢という部分は前の監督さんが正してくれた部分があり、その結果として自分は野球に集中すればいいというところがあったので、どちらかというとそういう諸先輩方に自分だけ目立ってしまったので申し訳がない感じはしました。

田所副理事長
 そうなんですか、複雑ですよね。
 それにしても、大学終わって毎日多摩川の練習場に顔を出して大変じゃなかったですか?

▲ 現役時代、ショートを守る福田さん。
現役生活の中にこそ「名将・福田匠」の源流が存在した。

福田さん そうですね、自分もその辺りのことを考えて授業は3限まで(法政大学の3限はキャンパス共通で3時に終わる)に詰めるようにしましたね。3限まで授業受けて市ヶ谷を出るとちょうど練習が始まるぐらいに練習場に着けるんです(笑)

田所副理事長 では、3時に授業終わって電車に飛び乗って4時過ぎに着いて・・・それを1年間ですか。夏休みとかはありますけど、基本はその生活スタイルで・・・。

福田さん そうなんです。あと、自分と同じ代の3人が学生コーチを引き受けてくれて、自分がどうしても4限の授業を受けなければならない時は彼らに任せることができました。

田所副理事長 学生コーチもいたんですか。

福田さん ええ、指導するのは全員自分たちの代でした。

田所副理事長 あー、そうなんですか。それは知りませんでした。

福田さん 自分たちが現役の時に部員が5人しかいなかったので、そのメンバーでやりました。メンバー内の意思疎通は現役時代から図れてたので「阿吽(あうん)の呼吸」でしたね。もう「これやっといて」と言ったらどういう意図で、どういう感じに・・・などもすぐに分かりました。

田所副理事長 なるほど、では自分たちの代で団結して今の代を創り上げたんですね。ここでちょっと新聞持ってきたので、これをネタにお話を伺いたいのですが・・・。そうですよね、春の関東大会は27年ぶり、全国大会は16年ぶりの快挙ということで・・・。
(新聞記事を見ながら)これなんかそうですよね、全国大会に行って毎日新聞に取材され、あとお昼の番組にも出演されましたよね?(笑)

福田さん はい、出ました(笑)
田所副理事長 あれはどうでした?(笑)
福田さん (笑)自分は出るとは思っていなくて、監督は出ないものだと思っていったらやっぱり「学生監督だから」っていう理由で出ることになりまして、出ることになりました。ただ、スタジオの人達も自分が監督っていうことが全然分からなかったらしかったですね(笑)

田所副理事長 (笑)私も出演されたのを録画して拝見しましたよ(笑)新聞取材やテレビ出演など大変注目されましたけれど、「これが全国大会に出るってことか」という感じはありましたか?

福田さん そうですね、それはありました。

田所副理事長 市長さんでしたか、市役所にも訪問されましたね?

福田さん ええ、川崎市長さんや教育委員長の方にお会いする機会を得ました。

田所副理事長 すごいことでしたよね。それで実際に全国大会に出場してみてどうでしたか?

福田さん 何と言いますが、自分たち自身関東大会1位とか、南関東大会1位とかで結構自信を深めていた部分があったのですが、自分としても学生監督で初めてで選手たちも初めての経験だったことでしたから・・・。

田所副理事長 16年ぶりですものね(笑)

福田さん はい、先生方が現役時代ぐらいの話ですから(笑)

田所副理事長 1995年のことですものね。

福田さん ええ。全国大会と言うことになると出場校はいずれも伝統校ですからほぼ手慣れてるところがあるんですね。一方で自分たちは完全なる初体験ですから、『呑み込まれちゃった』って言うと少し違うのかも知れませんが、雰囲気を自分たちの感じにすることは難しかったです。

田所副理事長 今回全国大会に出場した天理高校は硬式野球でも強いですから、相対的に軟式野球に強い面もあるでしょうね。特に今年は甲子園に出られなかったところで余計に力が入っていたでしょうし・・・。

福田さん そうですね、そうした部分はあるかと思います。

田所副理事長 「快進撃」っていう言葉が合う春からの連勝続きでしたけれども、まさにそうした面では前年から言われていたような強い部分を発揮できたのですね。

福田さん そうですね。今回の全国大会出場では色々とエピソードがありました。例えば、軟式野球のボールについてなんですけれど、軟式のボールを作っている会社って3社あるらしいんですけれど・・・。

▲ 全国大会開会式にて。
伝統校ばかりの中で久々の出場を遂げた法政二高軟式野球部。雰囲気に呑み込まれてしまったという。

田所副理事長 なるほど、ミズノとか・・・?

福田さん いえ、そういうところではなくて「健康ボール」とか3社ほどあるそうなんですね。でも、自分たちは軟式ボールって言ったらこの「健康ボール」しか知らなかったので、いざ開会式の前に行われた説明会の際に常連校の先生が『今回のボールはどの会社のでやるんでしょうか?』っていう質問を去れた時点で、『えー、健康ボール以外にもあるのかよ!』って圧倒されてしまいましたね(笑)

田所副理事長 それは興味深いエピソードですね(笑)プロ野球でも色々種類ありますものね。そしたら違うボールだったのですか?(笑)

福田さん ええ、実際に違うボールが来まして(笑)根本的なところは変わりませんけれども『いつもと感触が違う』と選手は言っていましたね。

田所副理事長 やっぱり違うところがあるんですね。
 試合を拝見していて一番感じたのがやはり「硬式野球との違い」でしたね。同じ「高校野球」でも硬式だと甲子園、軟式だと明石トーカロ球場と色々違いを感じました。

福田さん でも、思っていたより多くの方にご覧いただけたのでその部分は驚きました。普段の試合では父母会の方々や登録選手ではないメンバーとかが応援席にいる感じですので、自分たちとしては『今日は多くの方が来ているな』っていう印象でした。

田所副理事長 副校長の北詰先生もいらっしゃっていましたね。

福田さん ええ、なにか旗を持ってきて来られて・・・(笑)

田所副理事長 そうでしたね(笑)ただもう少し二高から応援団が来て欲しかった感じもありましたね。やはり二高は「スポーツの強豪」という伝統がありますから、そういう部分があったのかなって少し思いましたね。

福田さん 距離的な部分もありますのであれですけれど、ただ他の二高の強豪クラブとようやく肩を並べられたので、ここから追い越して欲しいなっていう部分も少し思っています(笑)

田所副理事長 そうですか(笑)ただ、二高は以前から言われていましたよね、硬式よりも軟式が強いってことを(笑)

福田さん ちょっと答えづらいですれど(笑)自分の場合ですと硬式・軟式両方経験していますから、その経験から考えますと、あくまで個人的な印象ですけれど軟式の選手の方がひたむきさや真面目さで勝っているかなとは思います。どちらかというと軟式野球より硬式野球が大きい分だけ『負けるもんか!』という想いがそうした面で働いているのかなと思います。

田所副理事長 そうですよね。二高の現状になりますけれども硬式野球部は学内の練習場が使用できますけれども、軟式野球部はリアカーを引いて多摩川の練習場まで行かなければならない。こうした部分はとても評価すべてき点だと強く思いますね。

福田さん ありがとうございます。

田所副理事長 早く学内に練習場が確保されるようになるといいですね(笑)

福田さん (笑)

田所副理事長 話の本筋に戻りますけれど、全国大会出場で選手と共に監督の任務も終わって、大学生活に戻られましたけれど・・・。

福田さん はい、そうですね。でも今でも3限の終りになるとモゾモゾし始めちゃうところがありますね(笑)

田所副理事長 そうですか(笑)えーと、法学部のゼミは3年生からで?

福田さん 2年生からなのでゼミもやりつつ監督もやり・・・っていう状態でしたね。

田所副理事長 そうだったんですね。ゼミもやりつつ、こっちもやりつつ・・・。ゼミの合宿とか夏になかったんですか?

福田さん ゼミの合宿は9月でしたからそういう部分でぶつかる心配はありませんでした。

田所副理事長 そうでしたか。では練習を休むぐらいで?

福田さん そうですね、コーチに時間割をうまく組んでもらってコーチとの連携で練習を指導するようにしていました。

田所副理事長 大変だったでしょう?

福田さん 大変でしたね。

田所副理事長 大変だったけど楽しかった?

福田さん そうですね。大学生活って色々な楽しみ方があると思うんですけれど、また違った意味で充実していた1年だったと思いますね。

田所副理事長 そうですよね。きっとしたら法政大学に2万から3万いる学生の中で「学生コーチ」は結構いるでしょうけれど、全国大会に行った「学生監督」は本当に一人でしょうからね。これは就活のネタになりますね(笑)

福田さん (笑)

田所副理事長 では、今はアルバイトを始め、普通の学生生活に戻りつつある感じですか?

福田さん まだアルバイトは始めてないですね。あんまり監督時代の気分が抜けきれない部分があって、加えて次の代のコーチのような形でまだ軟式野球部に関わっているんですね。週1回から2回ぐらいで通っているんですが・・・。

田所副理事長 そうですよね、まだ12月ですからね。

福田さん でもやっぱり相当打ち込んでいた部分があったので、今はすごく遠い昔の出来事のように感じていますね。

田所副理事長 全国大会が8月の終りでしたから正味3ヵ月ちょっとしか経っていませんが・・・。

福田さん そうですね、でも自分には遙か昔の出来事のように感じていますね。

田所副理事長 そうですか。その分それが大きな所を占めていたっていうことですね?

福田さん そうですね。

田所副理事長 ではサークルも入らずに?

福田さん そうですね、サークルはやらなかったですね。もう最初からサークル入っても軟式野球部の件があるからっていう考えがあったので、入ることは考えていませんでした。

田所副理事長 そうなんですか。どうですか、自分が大学生という立場で指導者として高校生を見ているという部分について、自分の姿と重ねてみて感じるところがありましたか?

福田さん 何と言いますか、3年生が結構「大人」な印象を受けましたね。「監督、監督」って呼ばれはしますけれど、自分の中でそんなに監督ぶった部分はしなかった印象がありますね。

田所副理事長 自分の中で「監督」っていう想いを強く思って指導していたのですか?それとも一緒にチームを作っていく、一緒にやっているんだっていう想いで指導していたのですか?

福田さん 最初の秋の大会まではやっぱり「監督は監督」みたいな感じで威厳を保ってじゃないですけれども(笑)そういうふうにある程度突き放したり、厳しくしたりそういうふうにやっていましたね。ただ、その秋の大会で負けてから他の高校の監督さんたちと食事する機会があって、色々なお話を聞く中でやっぱり「学生監督」の強みは選手たちの中に入っていけることだということを言われて、そこから一緒にバッティング練習でも中に入ってやったりとか、守備をやったりであるとかそういうどっちかというと一員としてやっていくようになりましたね。

田所副理事長 今お話しにありましたけれど、他の学校の監督さんと話をする機会があるんですか?

福田さん そうですね、各大会に軟式はあるんですよ。その度にいろいろ言われるんですよ(笑)『俺たちが汗かいて頑張っているのに大学生で勝って面白いだろうな』とか(笑)

▲ 全国大会に際してシートノックをする福田さん。
迷い続けた自身の監督像の結果に得られた姿は「学生監督」の強みであった。

田所副理事長 そうなんですか(笑)7月に監督就任ですと最初の大会は9月ですか。その時の集まりは怖くなかったですか?

福田さん いや、本当に怖くて一言もしゃべれなかったですね(笑)挨拶だけでしたね。

田所副理事長 そうしたら次の4月の大会で優勝、更に関東大会優勝ということで、また夏の大会の前に食事会があったということですか(笑)

福田さん はい、ありました(笑)色々な「情報戦」になるんですよ。色々聞かれるのをうまくかわしながら答えてきました(笑)

田所副理事長 それはすごい体験ですね(笑)
 それで今は大学では教職課程をとりながらですか?

福田さん そうです。それで監督を大学1年の夏から始めて、2年生に進級してから教職をとり始めました。今ちょっと忙しくて、今日(12月12日)も2・3・4限連続で教職の講義を受けてきまして。

田所副理事長 はー、それは大変ですね。1年生でとれる科目がある程度あって、2年からもう少しありますよね。では、将来は教職の道へ?

福田さん 教職も選択肢の一つとして考えています。「学生監督」って1年しか務めることができないので次の代を考えてチームを作ることができないんですね。今のチームで勝つことしか考えられないので、それが他の高校と違って優勝間隔が空いてしまう原因だと思います。

田所副理事長 そうですよね、他校はチームがあって監督が大人の毎日見られる人だと『今年はすごく弱小だけれども、ここで鍛えて今の1年が3年になった時に優勝させるんだ』っていうような長期計画が立てられますものね。「学生監督」では確かにそこに難しさはあるかもしれませんね。

福田さん そうですね、なので自分はその問題をちょっとやってみたいなって思っていまして、一応選択肢として教職を考えています。

田所副理事長 でも企業に進むとして、企業に野球部があると自分もまたやりたいなっていう思いもありつつ、一方で指導者になりたいという思いもありつつ・・・いろいろ選択肢がありますね。

福田さん そうですね、色々考えています。

田所副理事長 そうですか。また同じ話になってしまってあれですけれども、硬式と軟式の違いの大きさってとても大きなものがありますよね?

福田さん そうですね、自分としてはもう競技が違うなっていう印象すら持っていますね。

田所副理事長 ボールとバットがあって、ベースを踏むっていうことだけ共通という・・・?

福田さん そうですね、ルールだけが一緒で軟式の場合はもう全然点が入らないので守備を固めてどうにか1点を掴み取って勝つしかないっていう感じがありますからね。

田所副理事長 それこそ硬式野球と違って「点の取り合い」じゃないですけれどそういう主力がいればいいではなくて、全部を固めて「打ちつつ」かつ「守りつつ」っていう全部をやらなければならない訳ですからね。

福田さん そうですね。

田所副理事長 では、そうした軟式野球の難しさを指導者としてぜひ二高で教員となって実現して欲しいですね(笑)

福田さん そうですね、二高で教職に就ければいいですね(笑)

田所副理事長 16年ぶりの全国大会出場ということで福田さんはもちろん選手の皆さんも緊張されたと思うんですけれど、顧問の先生方も緊張されたご様子でしたね(笑)

福田さん ええ、とても緊張されていましたね(笑)やはり16年ぶりという大きさはすごかったと思います。16年ぶりというのは本当に二高ぐらいで、いたとしても4年ぶりとかでしたし・・・。

田所副理事長 そうですよね。ただ、16年ぶりに全国大会に導いた監督として福田さんの名前も残りますし。では、将来は二高で教員になっていただいて、軟式野球部を全国大会の常連校にしていただくということで・・・(笑)

福田さん 頑張ります(笑)

田所副理事長 法政二高も今色々と環境が変わってきて部活ばかりを考えることが難しくなってきている雰囲気があるようですが・・・。

福田さん そのようですね。でもそうした中にあっても軟式野球部の伝統が続けばいいなと応援していきたいと考えています。

田所副理事長 そうですね。競技規模自体は県内では22校ということでもう少し増えて欲しいところはありますよね。

福田さん 確かに競技規模の小ささは否めないところはあると思います。軟式野球部自体あまりメジャーとはいえないところもあるようですけれども、ただOBさんからの応援ですとか支援ですとか、部活外でも同窓会はじめ様々な方々からもそうしたことをしていただきましたし、そうした部分で今年1年は繋がりを強く感じることができる年になりましたね。

田所副理事長 そうですよね。応援ってやっぱり大きな力をもらうところがありますものね。ところで応援って実際にベンチにいたり、プレーしていたりする際に聞こえるものなんですか?(笑)

福田さん そうですね、選手の時は本当に聞こえませんでしたね。本当に集中していて聞こえるとしても回の合間にトイレ行くとかそういう時ぐらいしか聞こえませんでしたね。でも、監督になってからはずっと試合に集中し続けることも難しいので、『あ、○○の声が聞こえる』とかはありましたね。ただ、応援していただいている姿を見ると『その人たちのためにも』っていう気持ちにはなります。

田所副理事長 結構OBも大会の時は詰めかけていましたよね。私の同期の人にも試合で何人か会う機会を得ました。では、ぜひ試合の時は応援に来て欲しいですね。

福田さん 軟式野球に限らず、ぜひ多くの方に試合に足を運んでいただきたいです。

田所副理事長 福田さんの学生生活の話に戻りますけれど、現在ゼミはどのようなゼミに所属されているのですか?

▲ 全国大会でピンチの折にマウンドに集まる選手たち。全国大会に至る多くの大会でOBや父兄から声援が送られた。

福田さん 地域コミュニティについて学ぶゼミに所属しています。自分の在籍する国際政治学科は政治学科と同じゼミになっていて、このゼミも政治学科のゼミなんです。

田所副理事長 どういうことを学ばれているんですか?

福田さん どっちかっていうと自治会とか地域密着のコミュニティについて学んでいます。

田所副理事長 そうですか。自治会はこの東日本大震災によって見直しが進んでいるコミュニティの一つですものね。

福田さん そうですね。いろいろとフィールドワーク(聞き取り調査)なども行っています。

田所副理事長 では今はウズウズしながら学生生活を送っている感じですか?

福田さん そうですね。でも、あんまり次の監督に影響を与えてしまうといけませんからその部分も考えながら軟式野球部に関わっています。

田所副理事長 今回秋は残念ながら敗退でしたけれども、どういう印象をお持ちですか?

福田さん そうですね。でも8月の全国大会出場まで行った関係で今の1年生の練習が充分でなく、更にグラウンドもない中で秋の大会になってしまったのでその部分は影響があったと思います。でも、彼らは再び春には素晴らしいものを見せてくれると自分は信じています。

田所副理事長 でも、この全国大会出場はいい刺激になりましたよね。1年生とか2年生は『俺たちだって全国大会に出場できるんだ!』っていう明確な目標が持てますものね。

福田さん はい。だから監督だけが焦ることになっています(笑)

田所副理事長 そうか、1年生とか2年生は目標が持てたけれども監督は焦るという(笑)

福田さん ええ、今の監督はコーチとして全国大会にも来させて『ずっとチームに付いて次のチームのために見ておけ』ってやったんですけれど、やっぱりいざ自分が采配をとるとなると色々と分からないところも多いようで、相談を受けることもあります。でも、あんまり自分が言いすぎてしまうとそれは彼なりの采配がとれないことになりますから、チームにとってもよくないですし、あえてあまり言わないように努めています。

田所副理事長 「福田色」が出てしまうということですね?

福田さん そうですね。ただ彼は充分にそこを乗り越えられる監督になれると思うので、自分としては見守っています。

田所副理事長 そうですか。色々お話を伺っていたら、当初予定していた時刻を過ぎてしまいました。では最後に今の二高生にメッセージをいただけますか?

福田さん 大学入って思うのは、やっぱり二高生って独特の良さがあるなって感じていて、何というか受験勉強じゃないところの良さと言いましょうか、そういう付属校の良さがあると思うんですね。
 確かに勉強も大事なんですけれど、二高の良さである部活に打ち込むであったりとか、二高祭であったりとかそうした自主的な活動を頑張れば大学でも良い大学生活を送れると自分自身強く感じています。自分が1年監督させていただいて思ったことは同窓会の方やOB会の方との繋がりっていう部分はとても心強くて、こうした二高を通した横(同期)の繋がりや縦(先輩・後輩)の繋がりも今後は大切にしていって欲しいと感じます。

田所副理事長 二高ならではですものね、あの関係って。

福田さん そうですね、ぜひそういう繋がりを大切にして欲しいですね。

聞き手 本日はお忙しいところありがとうございました!

(記録・写真:田上 慎一)

※このインタビューは2010年12月11日に実施されました。役職や学年等はインタビュー当時のままですのでご了承ください。
※このインタビュー記録は、音声録を基に発言者の趣旨を妨げない範囲で字句修正等を行いました。

福田さんのメッセージが掲載されました

 今回、インタビューをさせていただいた福田匠さんの投稿したメッセージが月刊誌『法政』に掲載されましたので、以下に再録させていただきます。福田さんの熱いメッセージをどうぞご覧ください。

チームワークの威力

法学部国際政治学科2年 福田匠さん

 私は今年の8月まで1年間、母校である法政二高の軟式野球部の監督を務め、関東大会などで4度の優勝を果たし、全国大会に出場しました。大学生である私がなぜ高校の部活動の監督をするのかと疑問に思うかも知れませんが、法政二高軟式野球部は毎年大学生OBが監督を務めることが伝統になっているのです。

 

 新チームの始動とともに、私の監督生活は始まりました。授業が終わり次第すぐに練習に向かう毎日です。部活動の監督はプロ野球の監督と違い、結果を出せばよいというものではなく、教育の一環として行われるため、生徒の日ごろの生活にも気を配る必要があります。

 生徒たちと「目配り気配り思いやり」という目標を立て、日ごろの日常生活でお世話になる関係者の方々全員に感謝の気持ちを持とうと決めました。

 

 しかし、はじめのうちは練習など何をしてよいのか分からず、常に悩みを抱えていました。私自身もチームも自信を持つことができずに迎えた初めての大会である秋季大会は敗退してしまいました。

 秋季大会を終えて私はたくさんの本を読み、「人財」という言葉があることを知りました。ここでいう「人財」とは「人材(組織の中で材料となる人)」「人在(存在するだけの人)」「人罪(周囲に悪影響を与える人)」と違い、あらゆる人の財産になるということです。私はミーティングでチーム全員で「人財」を目指そうと話しました。生徒たちは自主的に話し合いの場を持つなどしながら精一杯頑張りました。

 

 そして迎えた春季大会、生徒たちは見事にその成果を発揮し、神奈川県大会優勝、関東大会優勝を果たすことができました。これで夏季大会は追われる立場になります。チームは研究され、生徒たちは最後の大会ということで固くなってしまうかもしれません。そこで私は「とにかく自分たちのプレーをしなさい」ということを伝えました。生徒たちは今までやってきたことを信じてひたむきにプレーをし、神奈川県大会優勝、そして南関東大会を制覇し、念願であった全国大会に出場することができました。

 残念ながら全国大会は初戦で天理高校に負けてしまいましたが、全国という舞台を経験できたことは私自身にとっても生徒たちにとっても大きな財産となりました。

 

 監督としての一年は本当にあっという間でしたが、私だけの力では到底4度の優勝(公式戦合計17勝2敗)は成し遂げられませんでした。支えてくれた、高校時のチームメイトだった同期の3人のコーチ、先生や生徒、保護者・OBそして家族に感謝したいです。

(全国大会終了後にチームメイト、顧問の先生と)

(『法政』2011年12月号、「Message to You」Vol.38より)