新春特別インタビュー2010

法大応援団を率いる、熱き二高OBたち

 新たな年を迎えた我らが母校・法政二高、そして法政二高OBたち──。

 2010年、法政二高OBは全国を股にかけての活躍を展開しています。今回、そんなOB達の中から、法政大学応援団に所属し、法大の伝統を支える団長・田中貴大さん、副団長・川合学さん、団員・阿部巧さんにインタビューを敢行しました。

左から田中貴大さん(第63期)、川合学さん(第63期)、阿部巧さん(第64期)

(2009年11月20日、法政大学市ヶ谷キャンパスにて)

聞き手 では、宜しくお願いします。
 まず、お三方は現在大学生ということで、大学生活の中で楽しかったこと、または現在楽しんでいることを教えてください。

田中さん 大学生活ばかりでなく、中・高というか人生そうだと思うんですけど、やっぱり友人の枠が広がって、その友人たちと話している時が一番楽しいですね。やっぱり、大学って特に体育会とか、外国の方もいますし、すごい色んな人がいるので、そういった人との触れ合いが私は一番楽しい瞬間ですね。

聞き手 ありがとうございます。川合さんはどうですか?

川合さん 屋上で本を読んでいる時が・・・。

聞き手 結構、本を読まれるのがお好きとのことで、自然体な感じなんですね(笑)

川合さん そうですね(笑)よく読んでいます。

聞き手 ありがとうございます。では阿部さんはいかがでしょう?

阿部さん 練習の後に同期と食事をする時が楽しいですね。

聞き手 緊張がほぐれますものね。ありがとうございます。
 続いて伺いたいのですが、応援団に入団したキッカケをお聞かせください。

阿部さん  三点ありまして、一点目が自分の高校の時の同期が、大学の野球部に入るということだったので、それを身近で応援してあげたいということ、二点目が両親にちょっとでも親孝行をして、いい形ができなかったので、大学で応援団に入って自分のやっている姿を見て欲しいということ、また三点目としては現在同席しております先輩方にお誘いいただいたので、この先輩たちについて行こうという思いで入団しました。

聞き手 模範的な回答ですね(笑)川合さんはいかがですか?

川合さん …男らしくなりたいなと思い、入団しました。

聞き手 男らしくですか・・・素晴らしいお考えですね(笑)田中さんはいかがでしょうか?

田中さん 私もいっぱい理由はあるんですけど、あえて一つ言うならば自分らしい4年間にしたいというのが一番でしたね。今更野球を続けても花が咲きませんし、勉強やってもあれでしたし、応援という形で他の人にはできない4年間を過ごしたいと思って入団しました。

▲ 長い伝統を有する法大応援団は「法政」の下で幅広く活躍をしている。その中における法政二高OBの役割は大きくなっている。

聞き手 なるほど、ありがとうございます。
 では、ちょっと話しづらいこともあると思うのですが、応援団と授業の両立というのは大変でしょうか?

田中さん そうですね、やっぱり大変ですね。普通の学生もアルバイトなりで時間がないとは思うんですけど、我々やっぱりそれ以上に体育会の応援だけではなくて、夜の練習だったり、その中でバイトやっている奴もいますし・・・とにかく活動の幅がとても広いですね。でも、決して授業と両立できないわけではありませんし、基本的には全員就職などにつけていますので、要は「強い気持ち」を持ってないと応援団も辞めてしまいますし、両立もできません。ただ、その強い気持ちを持った者が応援団にはほとんどですので、何とか両立はできています。

聞き手 なるほど、阿部さんはいかがでしょうか?

阿部さん もちろん大丈夫です。

聞き手 ありがとうございます。
 では、次の質問ですが、「応援団」という名からも明らかな通り、様々な場面で応援することとなる訳ですが、それらの応援に際してどの様な意気込みというか、心持ちで臨んでいるのですか?

阿部さん 選手に勝たせるという想いで応援しています。

聞き手 その一本で応援に励んでいるんですね。川合さんお願いします。

川合さん 己の全てを懸けて、母校のためにという想いですね。

聞き手 なるほど。田中さんお願いします。

田中さん やっぱり阿部が言ったように選手に届くような、本当に我々が騒ぎだけじゃなくて、それがなんとか選手の勇気に変えられるように、もうその気持ちだけですね。

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田中 貴弘さん(第63期)
2003年、法政大学第二中学校卒業後、法政大学第二高等学校に入学。在学中は硬式野球部に在籍し、2006年卒業。法政大学キャリアデザイン学部キャリアデザイン学科に入学し、同年法政大学応援団に入団。2008年12月から2009年12月まで応援団団長を務める。

聞き手 なるほど。そういう想いが通じて5月に法大野球部が優勝しましたね。応援をしてそうした大きな結果、成果が出た訳なのですが、その際の感想を聞かせてください。

川合さん うれしいのは最もなんですけど、ちょっと一安心というかよかったなという、4年間やって来てよかったなという気持ちでした。色んな複雑な気持ちがありましたね。

聞き手 団長はいかがでしたか?

田中さん  やっぱり、すごいうれしかったですね。まず、やっぱり4年間そういう瞬間のためにやってきましたし、何と言いますか「応援の力だ!」みたいなことも、もちろんありましたけど、それ以上にやっぱり「野球部ありがとう!!」という気持ちだったり、色んな今日ここに入れるまで色んな人に支えられてきたんだな、そういう人に対する感謝の気持ちというか、そういう人たちがいて、こういうことができるんだなということを同時に思いました。

聞き手 そうですね。そういう点で二高野球部にも頑張ってもらいたいですね(笑)

田中さん そうですね(笑)

聞き手 では、ちょっと話題を変えまして、応援団の夏合宿について伺います。応援団の合宿はどの様なことをやるのか教えてください。

▲ 「応援が選手の勇気に変わるように・・・」その想いが通じて大きな結果となることは、大きな感動を生んでいる。

川合さん 応援団全体の合宿なので、吹奏楽部とチアリーディング部も一緒にやります。各部でも練習をほぼ9日間ぐらい行って、最後に三部(リーダー部・吹奏楽部・チアリーディング部)で合わせて神宮の野球応援の試合を想定して締めくくるという内容です。

聞き手 阿部さんは、夏合宿の感想はどうですか?

阿部さん 1年の時が一番つらく大変でして、2年になれば2年なりの、また3年になれば3年なりのつらさがあって、思い返せばどれも充実していた日々であったなと思います。

聞き手 ありがとうございます。
 では、先程伺ったことと関連するのですが、応援団は法大の代表として活躍されていますが、先日学生代表としてドイツのオルデンブルク大学に表敬訪問されたと伺いました。応援団初の海外遠征という歴史的出来事を果たして、その感想を聞かせてください。

田中さん 私は初め、今やっていることだけで十分という気持ちはあったんですが、海外に行って法政大学の校歌を歌ったりですとか、向こうのオルデンブルク大学の学生と交流したりですとか、それによって「法政大学」というものを伝えられた、それが海を越えてドイツまで伝えられたということが、我々がそれをやれたということがすごい嬉しかったですね。
 しかも、「応援団」というのはドイツの方は全く知らない訳で、なので応援団といったら東大でも早稲田でも慶應でもなくて法政なんだという若干の誤解はあるとは思うんですけど、そういう認識を持ってもらって、それに初めて行ったのが東大とかではなくて、法政大学だということを今年できたということが誇れることなんではないでしょうか。

川合 学さん(第63期)
2003年、東京都品川区立荏原第六中学校卒業後、法政大学第二高等学校入学。在学中は硬式野球部に在籍し、2006年卒業。法政大学キャリアデザイン学部キャリアデザイン学科に入学し、同年法政大学応援団に入団。2008年12月から2009年12月まで応援団副団長を務める。

聞き手 ありがとうございます。
 続いて、皆さんが応援団に入団されてから色々な思い出があったと思うのですが、特に印象深かったものを教えてください。

田中さん もしかしたら3人ともそうかもしれないですけど、今年の野球部のリーグ優勝と日本一が一番嬉しかったですね。特に応援団は1~3年が下積みで、表現悪いんですけど「地獄」みたいな、それで4年になって「天国」みたいな風に表されたりするんですけど、正にその通りで野球部も私が1年の秋から2年春・秋、3年春・秋とずっと4位、5位を彷徨ってたんです。やっぱりその分、応援団もつらい想いをしたんですけど、4年になって心機一転というところでいいスタートがきれて、「今年の法政の力だ」というところが、なんかみんなで感じられたのですごい良かったです、思い出に残ってます。

聞き手 ありがとうございます。川合さんはどうですか?

川合さん ほぼ同じですね。優勝の試合ですごくいい応援ができたので、すごく印象に残っています。

聞き手 阿部さんはどうでしょう?

阿部さん 同じく日本一になれた時、優勝の経験が初めてだったのでとても印象に残っています。

聞き手 ありがとうございます。
 では、ここから話題を変えまして二高時代について伺いたいのですが、二高時代のクラスはどの様な雰囲気でしたか?

阿部さん 先生と生徒が仲悪く、あまりコミュニケーションを取れていなかったんですが、2年、3年となっていくうちに、だんだん先生とも距離が縮まって最終的にはすごくいいクラスになりました。

聞き手 そうなんですか。川合さんはいかがでしたか?

川合さん 二高祭で企画賞を獲ったので・・・いいクラスだったと思います。

聞き手 (笑)では、田中さんお願いします。

田中さん いいクラスだったかとかそういうのは分からないですけど、クラスに運動部の生徒がすごく多くて活発なクラスでしたね。

聞き手 そうですか。そうして過ごした仲間たちとは現在も連絡を取り合っていますか?

田中さん そうですね。私たち4年になるとある程度時間は取れますので、最近食事に行ったりとかあんまり覚えてないですけど、アメフトとかラグビーとか野球の応援に行ったりすると、二高の同級生だった奴らも見に来てたりして、少し話したりですとか、今でも交友は繋がってますね。

聞き手 川合さんはいかがですか?

川合さん そうですね。クラスの奴に自宅が近い者もいるので、時々食事に行ったりしています。

阿部 巧(第64期)
2004年、神奈川県横浜市立新田中学校卒業後、法政大学第二高等学校に入学。在学中は硬式野球部に在籍し、2007年卒業。法政大学経営学部市場経営学科に入学し、同年法政大学応援団に入団し、団員として活動する。

聞き手 阿部さんはどうでしょう?

阿部さん 陸上部の者で駅伝の予選会に出場した者がおりましたので、その者とはよく連絡を取り合ったりします。

聞き手 そうですか、みなさん同級の仲間たちと繋がりを持って今現在活動されているということですね。
 次に、二高時代の思い出として最も印象深いもの、一番良かった思い出を教えてください。

川合さん 1年生の時に野球部に入って、集合の時の先輩方の姿が印象に残ってますね。

聞き手 どんな姿ですか?

川合さん 多少恐怖じみた雰囲気が印象に残っています。

聞き手 そうですか。阿部さんはどうでしょう?

阿部さん 野球部の係分けがあるんですが、その時にラインを引く係だったんですが、とても先輩がラインを引くのが早かったというのが印象深いです。

聞き手 そうですね、野球部の方はライン引くのが早かった印象は私もあります。田中さんはいかがですか?

田中さん 私も野球中心になってしまいまして、我々が高校3年生の春に神奈川で久しぶりにベスト8まで行ったんですね。その前はベスト32まで行けるかどうかだったんですけど。ベスト8でそこで慶應に負けてしまったんですけど、その時が楽しかったですね、楽しいというか・・・。

聞き手 何かそこに目指してみたいな感じですか?

田中さん そうですね。本当に甲子園も見えるんじゃないかというチームだったので。

聞き手 そうですか。野球部の思い出というとお三方は野球部だったので余計にかもしれませんが、二高OBの方に思い出を伺うと野球部にまつわる話をされる方が多いですね。そういうところで二高の野球部が持つ何か、神秘的なものがあるかもしれませんね
 さて、今度は少し変わった質問ですが、応援団は「想いの継承~法政という誇りを胸に~」を掲げていらっしゃいますね。「想いの継承」ということで、先輩・後輩の仲ということありますが、みなさん二高時代に培った先輩・後輩の仲は続いていますでしょうか?

阿部さん 二高野球部の先輩とはよく学内であった際に挨拶すると、話しかけたりしてくれます。

聞き手 悩み事とか相談されますか?

阿部さん そこまででは・・・(笑)

聞き手 そうですか(笑)川合さんはどうでしょうか?

川合さん そうですね、ご挨拶程度というか、世間話はしますね。

聞き手 田中さんはいかがですか?

田中さん 応援団の先輩や後輩に話せないことを二高の先輩や後輩に話せることってあるじゃないですか。応援団ってちょっと厳しかったりするんで・・・。そういうところで僕が大学1、2年生の頃とかは支えになったというか、そういう時にそういう先輩がいると楽しかったですし、そういう関係でしたね。

聞き手 みなさん二高の先輩・後輩関係を活かして今現在に至っているようですね。
 では、田中さん、川合さんは大学4年生、阿部さんは大学3年生ということで、大学卒業・法政からも卒業ということになる訳ですが、今考えて法政二高の3年間というのはどういうものだったと思われますか?

田中さん 法政二高の3年間は私の中で2つの位置づけがありまして、一つは簡単に言うと、私は法政二中からなんですね。法政二中という法政に初めて入る場所と、法政から卒業する法政大学とを繋ぐ3年間っていうのが法政二高の3年間の一つ目ですね。二つ目が法政って私がちっちゃい頃からスポーツとかが強かったり、「すごい法政大学グループ」というイメージがあったんですね。でもやっぱり法政二高ではなかなか野球も低迷したり、他も徐々に徐々に今、勉強に力を入れたりしてますよね。やっぱりそれに対して残念というか、もどかしい気持ちを味わった3年間でしたね。それで大学に入って4年になってこういう思いをさせてもらっているんですけど。

聞き手 そうですか。川合さんはいかがですか?

▲ リーダー部の集合写真。
二高時代の経験や思いが現在活かされていると3人は力強く語ってくれた。

川合さん 甲子園に行けるのではないかという希望と、最後の夏の大会早々に終わってしまった挫折という2つを味わった深い3年間だったのではないかと今思いますね。

聞き手 今でもその3年間の経験が生きているところ多いですか?

川合さん それがなければ応援団には入ってなかったとも思いますね。

聞き手 阿部さんはどうですか?

阿部さん 勉強と部活を両立できたとても充実した3年間だったと思います。

聞き手 ありがとうございます。
 では、最後に今の後輩たちへのメッセージをお願いします。

阿部さん 法政二高で楽しむことは楽しんで、将来は応援団に入団してください!

聞き手 川合さんお願いします。

川合さん 応援団に入団するように。以上です。

聞き手 (笑)田中さんお願いします。

田中さん 大学でできること、大学でしかできないこと、高校でしかできないことってありますよね。特に大学になるとすごい自由がきくんで色んなことができるんですけど、その自由なことができる礎を高校のうちにやっておいた方がいいんじゃないかなと思います。
 大学で遊ぶなり、資格とるなり、スポーツに時間つくるんだったら、高校でまずやっぱり勉強と友人作りですね。その基礎を中・高でつくれば大学・社会人で自分のやりたいことができるんで、嫌だと思うことでも信じて勉学に、友人関係にいそしんで頑張って欲しいと思います。

聞き手 本日はお忙しいところありがとうございました!

(聞き手:田上 慎一)

※このインタビューは2009年11月20日に実施されました。役職や学年等はインタビュー当時のままですのでご了承ください。
※このインタビュー記録は、音声録を基に発言者の趣旨を妨げない範囲で字句修正等を行いました。