《卒業記念企画》卒業式1部に見た二高生(2010年卒業式)

2010.03.06

法政二高を旅立つ若き二高生に注目!!

 毎年、法政二高の卒業式は他校と異なる特色を有する。それは卒業式が1部と2部に分かれていることだ。1部は生徒会の卒業式実行委員会が主体となり、卒業生が自ら卒業式を創る、2部は学校が主体となり、卒業証書授与式となるのである。近年、卒業式の「画一化」が進み、学校の独自性を卒業式で発揮できないということを筆者は度々耳にするが、その中においても法政二高の卒業式が独自性を維持できているのは先生方のご指導に加えて、法政二高が有する伝統的な「自由と進歩」という民主的な性格があるからである。よって、この卒業式1部の存在はそうしたものを培ってきた多くの先輩方と先生方の賜物であると感じるところである。

 さて、そんな素晴らしい法政二高卒業式の1部であるが、今年度の卒業式1部では近年稀に見る素晴らしい有志企画が現われた。それは畑田哲大さん(卒業時3年3組、67期)と一色洋平さん(卒業時3年4組、67期)が中心となった演劇ユニットが演じた「SHOW MUST GO ON~それでも俺は続けたい~」である。彼らの活動は卒業式前からのものであり、なんと卒業式を最終公演と位置づけた「3弾企画」であった。筆者はその話を3学年主任・岡稔彦先生から伺い、卒業式に先立って彼らからお話を聞かせていただいた。

(右から)
一色洋平さん、畑田哲大さん

二高生の団結力、交友力を実感

 ここまで大きな企画となるとさぞや入念なものがあったのだろうと筆者は当初考えていたが、彼らの回答は驚きのものであった。一色さんによれば10月初旬に一色さんから畑田さんに対して「卒業式までに何かやろう」と、メールをしたのがキッカケだと言う。彼らの共通項として存在したのは「テレビを見ている感覚で演劇を見て欲しい」ということ。演劇というとどうしても堅くなって観覧するものとイメージしてしまうが、それを打破して本来の演劇の楽しさを示したかったと彼らは熱く語ってくれた。当初は「こぢんまりと楽しみたいな」と、彼らは思っていたが、岡先生に話したところ学年挙げた協力を得られるものとなり、更には生徒会をも巻き込んだ大きなものへと発展していったという。

 歌あり、ダンスあり、映像あり、そして芝居ありの自由な表現力で、彼らが目指した「テレビを見ている感覚で演劇を見る」工夫を随所に施して、2010年1月23日に第1弾目である「孫泥棒」が公演された。この作品は一色さんが脚本・演出した「超ドタバタ・ワンシチュエーション・コメディー」で、お爺さんの90歳祝いのホームパーティーに現われた一番客が大泥棒で、その大泥棒がひょんなことからとんでもない願い事を引き受けてしまうことから始まる「笑って泣いての90分」であった。続く第2弾目は畑田さんが脚本・演出した「CONFUSION」という悲壮群像劇を2月13日に公演した。第1弾とは全く色の異なる作品で、高校生の創作とは思えない考えさせられる公演となった。

 こうした畑田さん、一色さん中心とするメンバーであるが、それはその都度募集をかけるというもので筆者がお話を聞いた頃はまだ卒業式1部で公演する明確なメンバーも、公演内容の詳細も「未決定」状態であった。そこから今回、卒業式1部で公演されたような「演劇の神髄」を表すようなものが生まれることは彼らの天賦の才能ばかりでなく、二高生が有する団結力や、「クラスメイトや友達のために一肌脱ごう」という二高生の交友力の賜物であろう。

畑田 哲大さん(67期)
2007年、法政大学第二中学校卒業後、法政大学第二高等学校に入学。在学中はおよそ3年間、演劇部に在籍し、クラブ三役を務めるなどクラブの中心として活動した。2010年に同校を卒業し、4月から法政大学文学部日本文学科に入学予定である。

先輩としての高校生活

 彼らは法政二高において畑田さんは演劇部でクラブ三役を務め、一色さんは陸上競技部で主将を務めるというクラブの中心として活動した。そんな彼らに法政二高における先輩と後輩関係を聞いてみた。畑田さんはクラブでは「相談を受けるタイプ」の先輩で、後輩から様々な相談を受けたという。一方、一色さんは高校1年生の頃から主将の座を狙っていたと言い、その理由を「法政二高の陸上部はレベルは高いんですが、日常の生活部分に対する姿勢に問題がありました。だから、それを変えたかったんです。」と、語ってくれた。挨拶や整理整頓など基本的なことで、しかも高校生なら当然のこととしてできなければならないことができていない現状。彼はそれを正して、技術だけではなく部員の自律レベルも高い法政二高陸上競技部を確立したかったのである。こうした思いは畑田さんの演劇部活動の中にもあった。畑田さんは「演劇をやる上で『ちゃんとした人』でなければ、お客さんの楽しめる演劇を見せられません。」と、述べた上で部員相互のチームワーク向上などの目的で「恩を仇で返すな」ということを広く後輩に伝えたという。近年は「自律ができない生徒(学生)」が増えていると言われているし、また事実存在する。その一方で、彼らのような自律を広めるリーダー層が法政二高には多数存在する。法政二高の特長とも言えるであろう。

 さて、彼らは卒業を迎え、今後は法政二高のOBとなる訳であるが、そんな彼らに今後の後輩との付き合い方について目指すものを聞いたところ、「いつでも相談できる先輩になりたい」という。二人の3年間のクラブ生活では常にいつでも相談できる先輩がおり、クラブのことなど様々なことを相談したという。そんな先輩方を見習いたいと語ってくれた。先輩・後輩の関係がこのように続いていくことに対し、筆者は改めて法政二高の先輩・後輩の関係性のあり方を学ばせていただいた。彼らの目指す先輩像が後輩にも引き継がれ、法政二高に広がることに期待したい。

一色 洋平さん(67期)
2007年、神奈川県鎌倉市立深沢中学校卒業後、法政大学第二高等学校に入学。在学中は3年間、陸上競技部に在籍し、主将を務めるなどクラブの中心として活動した。2010年に卒業し、4月から法政大学キャリアデザイン学部キャリアデザイン学科に入学予定である。

大学生活と友人関係

 ところで、このような素晴らしい作品を生み出す畑田さんと一色さんであるが、彼らに大学生活に対する思いを聞いてみた。畑田さんは「家族に頼ってばかりだったので自立したい。」と、いうことに加えて「やりたいことはあるけど・・・不安ですね。」と、心境を語ってくれた。一色さんも自身が熱中しすぎる傾向があることに触れて自立を述べた上で、更に大学生活がどのようなものであるかという不安と一方での期待を「胸を張ってブラックホールへ突き進む感じ。目前だけどまだ信じられない。」と、述べてくれた。確かに熱中した3年間を過ごした高校生活から大学生活への変化はとても大きなものがある。そうしたものへの不安は誰しもにも去来したものである。しかし一方で大きな期待も存在する。一色さんはお話の中で「大学で、演劇で有名な早稲田大学の演劇研究会に参加したい。できれば畑田君と参加したいんですよね。」と、照れながら語ってくれ、畑田さんも照れながらではあるが「一緒に参加したいね。」と、述べてくれた。畑田さんは更に「彼(一色さん)のことはとっても好きだし、ずっと友達でいたい」と、語ってくれた。一色さんも「彼(畑田さん)とずっと友達でいたいと思います。」と、畑田さんと一色さんの友情の深さを感じさせてくれた。

▲ 第67回卒業式での公演。
二人組の泥棒が法政二高の卒業式に潜り込むことから始まる愉快な作品であった。

 このふたりの素晴らしい友情に加えて、彼らは個々に更に素晴らしい友達を有している。1・2年を演劇部中心に過ごしてきた畑田さんは「ずっと演劇部の活動で二高祭もクラス企画には出れませんでした。今年はクラブを引退したのでやっとクラス企画にも出ることができ、初めてクラスのみんなと交流できました。本当に友達は一生ものですね。」と、笑顔で語ってくれた。一方、一色さんは「“高校の友達は一生もの”って親からよく言われましたけど、本当にそうですね。」と、述べた上で「こうした友達ができたのも男子校という独特の環境があったからだと思いますね。高校で過ごした3年間のそれぞれのクラスらしさがいつまでも残っていてほしい」と、語ってくれた。高校3年間で様々な交友関係ができるが、ここまで思い入れ深く感じられるのは法政二高の素晴らしい点である。二人は共に「これからも支え合える関係でいたい」と、強く語ってくれた。

 こうした交友の輪が一生続くことを願いつつ、また彼らの多くの言葉からそれを確信できるものであった。彼らの素晴らしい活躍に今後も期待したい。

(取材・文責:田上 慎一)

※この取材は2010年2月18日に実施されました。役職や学年等は取材当時のままですのでご了承ください。
※この記事は、取材メモを基に発言者の趣旨を妨げない範囲で再構成しました。