法政大学第二中・高等学校同窓会公式サイト / 2012年度


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2005年08月03日 開設    
2021年07月30日 更新

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増田総長以下「オール法政」大集合!  

2013.02.16

第28回法政大学付属高校同窓会役員懇親会 開催される

DSC04690.JPG▲ 75名もの出席者で賑わう会場の風景。 去る2月16日(土)、横浜中華街のローズホテル横浜において法政大学付属高校同窓会役員懇親会が開催された。今回で28回目を数える同会は、今年度法政二高同窓会が幹事役を務め、来賓を含め総勢75名もの法政関係者が出席した。増田壽男法大総長も来賓として出席し、史上初めて同会に法大総長が臨席した。

 開会に先立ち、品田秀行法政二高同窓会長(24期)は、一年前と変わらず再び付属高校同窓会役員が一堂に会したこと、そうした場を法政二高同窓会が幹事として提供できた喜びを語り、品田会長の言葉に会場の誰もが共感した。続いて、来賓挨拶として増田法大総長が壇上に立ち、初めて同窓会役員懇親会に加われたことへの喜びを語り、「ぜひこれからも参加させていただきたいと思っている」と、同会に参加できた喜びを大いに語った。松田法大総長が降壇し、徳安彰法大常務理事、飯田亮三法政中高学校長(元法政二中高英語科教諭)、和仁達郎法政女子高学校長がそれぞれ各学校の近況を報告した。
 来賓挨拶の最後を飾ったのは、榎本勝己法政二中高学校長(兼法大理事、26期)である。法政二中高は、創立75周年の節目を前に男女共学化・校舎大改築を行っており、出席者の多くが榎本学校長からどのような進捗が報告されるか注目していた。榎本学校長は、スライドを用いながら、法政二中高の校舎大改築の進捗状況を報告し、新たな法政二中高の姿に熱弁を振るい、出席者は満場の拍手でこれを応援した。

DSC04718.JPG▲ 歓談を盛り上げた胡弓演奏。 さて、岡田安弘法政二高同窓会相談役(法大理事、12期)の乾杯の発声により、出席者の歓談が始まった。歓談に色を添えたのは、モンゴル出身の奏者による胡弓演奏で、日本の美しさを高らかに歌い上げた様々な懐かしい童謡を演奏した。珍しい胡弓演奏に話は更に弾むことになった。この同窓会役員懇親会の最大の目的は、各校同窓会間の意見交流にある。普段一堂に会することの少ない各高校同窓会役員が共に懇親の場を過ごすことを通じて、お互いの同窓会の抱える課題を解決するためのヒントを探すのである。今回の同窓会役員懇親会においても各校同窓会役員の間で様々な意見交流がなされ、法政全体を盛り上げていこうという気運はいよいよ会場を満ち始めた。

 ここで、各校同窓会による近況報告の時間となった。
 最初を飾ったのが法政高校同窓会の方々である。岩村元雄法政高校同窓会長以下、14名の法政中高教職員・同窓会役員の方々が登壇され、法政中高の躍進ぶりに熱弁を振るった。続いて登壇したのは、法政女子高同窓会の方々である。小倉久子法政女子高同窓会長を筆頭に18名の方が居並び、男子陣の多い会場が一挙に華やかになった。次に宮沢直義法政第一工業同窓会長以下、10名の方々が登壇した。法政第一工業高校は、1965(昭40)年に法政第二工業高校と合併し、法政大学工業高校となったが、現在も卒業生が活発に同窓会活動を行っている。壇上で10名の方々が法政第一工業高校校歌(与謝野鉄幹作詞・弘田龍太郎作曲)を大音声で歌い上げる姿は、かつての法政第一工業高校の気概を感じる一時となった。続いて、法政第二工業高校同窓会を代表して5名の方々が登壇された。法政第二工業高校も現在は存在しないが、卒業生が活発な同窓会活動を行っており、その結束の強さに出席者から羨望の声も聞かれた。最後を飾ったのが、我らが法政二高同窓会である。総勢26名という大人数で登壇し、品田会長が役員一人ひとりを紹介した。特に、中村育太郎法政二高同窓会監事(20期)は、今回の同窓会役員懇親会の実行委員長を務めており、品田会長よりその旨が報告されると、出席者は満場の拍手でその労に報いた。

DSC04740.JPG▲ 法政二高同窓会から法政女子高同窓会に幹事校のバトンが引き継がれた。 こうして楽しい懇親会もいよいよ終了の時刻が近づいてきた。
 法政二高同窓会から品田会長、神保修治理事長(17期)が、法政女子高同窓会から小倉会長が登壇し、幹事校引き継ぎが行われた。品田会長から「29」と大書きされた横断幕用の回次表記が贈呈されると、小倉会長はそれを頭高く掲げ、意気込みをますます強くした。

 引き継ぎを終え、恒例の肩を組んでの校歌斉唱が始まった。会場に響き渡る校歌の声は高低様々であるが、それら一つひとつが合わさって確実に美しく、力強いハーモニーとなった。思えば、「法政」を取り巻く現状は決して安心できるものではない。少子化はますます進み、その一方で学校の数は依然として多く、学校間の競争は一段と激しさを増している。こうした現状の中で我らの「法政」は何を武器にできるのだろうか?筆者ならば、何よりも「法政の団結力」を挙げるだろう。法政では個人を重視した自由な教育が行われ、我々は個々人の強みを自由に伸ばし、様々な第一線で活躍している。こうした個々人の強みは一つひとつでは可能性に限りがあるが、それが結集すれば無限の可能性を生み出せる。法政は単に個々人の強みを自由に伸ばしたばかりでなく、それらを結集させる力をも持っているのである。それが先述した肩を組んでの校歌斉唱から見える法政の武器であると筆者は信じて止まない。

(文責:田上 慎一)

DSC04726.JPG▲ 法政中高教職員と同窓会のみなさんDSC04728.JPG▲ 法政女子高教職員と同窓会のみなさん
DSC04734.JPG▲ 法政第一工業高校同窓会のみなさんDSC04736.JPG▲ 法政大学第二工業高校同窓会のみなさん
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激走!箱根駅伝  

2013.01.21

襷を繋いだ二高の絆、総合9位でシード権奪還

 来る新たな年、オール法政に歓喜の声が響き渡った。今年で89回の節目を迎えた箱根駅伝において、我らが法政大学が総合9位に入賞、シード権(予選免除権)を奪還したのである。

 ここ数年、法政大学はいわゆる「シード権落ち」の状態が続いており、今回の箱根路は予選会を3年ぶりに通過して手にしたものであった。昨年10月20日に開催された箱根駅伝予選会では、「8位 法政大学」という結果発表のアナウンスが流れた瞬間、選手や大学陸上競技部関係者はじめ多くの法政人が歓喜の声を上げたのだった。大学陸上競技部の小林道彦監督は、「プレッシャーが大きかっただけに、ホッとしました」(『読売新聞』2012年10月21日付東京朝刊版、31面)と語り、坪田智夫コーチも「100点満点の走り」(同上)だと振り返った。

 こうしていよいよ至った2013年1月2日、箱根路には多くの法政の幟が立ち並んだ。路地からの応援、テレビの前からの応援などオール法政が一体となり、3年ぶりのオレンジの襷に期待を寄せたのである。今回、箱根路に挑むことになったメンバーは次の通り。

1区
西池 和人  2年 須磨学園高校(兵庫)
2区
篠原 義裕  4年 西京高校(山口)
3区
田井慎一郎  3年 八千代松陰高校(千葉)
4区
黒山 和嵩  2年 京都外大西高校(京都)
5区
関口 頌悟  2年 高崎高校(群馬)
6区
品田 潤之  4年 須磨学園高校(兵庫)
7区
大森 一輝  4年 那須拓陽高校(栃木)
8区
藤井 孝之  1年 倉敷高校(岡山)
9区
松田 憲彦  3年 法政二高(神奈川)
10区
高梨 寛隆  3年 法政二高(神奈川)
補欠
大久保 圭  4年 七里ガ浜高校(神奈川)
佐野 拓馬  2年 須磨学園高校(兵庫)
森永 貴幸  2年 西京高校(山口)
有井 渉   1年 八千代松陰(千葉)
佐藤 和仁  1年 田村高校(福島)
中村 涼   1年 京都外大西高校(京都)

 往路においては、5区の関口頌悟選手が8人抜きをやってのけ、予想外の5位につけた。法政の激走ぶりに、成田監督も「出来すぎ」と語るなど、古豪の勢いが止まらなかった。そして、翌3日に行われた復路では、法政二高OBである松田憲彦選手、高梨寛隆選手がいよいよ登場し、その快走ぶりに注目が集まった。
 9区を任された高梨選手は、順位を2つ落として9位となってしまったものの、11位との差を3分以上も保つ走りを続け、二高時代の同期である高梨選手に襷を繋げた。10区・高梨選手は、シード権獲得という大きな使命を襷に込め、一時は青山学院大学のエースとされる出岐選手を捉えて8位まで順位を上げる好走を見せた。そして、ゴールの大手町に至ると「よっしゃー」と叫び、襷を繋ぎきったばかりでなく、シード権獲得という大任を果たしたのである。
 高梨選手は後日、松田選手との襷リレーの感想を聞かれ、「まさか、法政大学で、しかも箱根という舞台で。ずっと二高からやってきた仲とタスキリレーできるなんて、すごいいい思い出を作らせてもらったなと思います。」(スポーツ法政ホームページより)と、その感激を語った。

 かくして、2013年箱根駅伝は、我ら法政人にとって忘れられない感動・歓喜を与えるものになった。特に法政二高OBには、この箱根駅伝は忘れ得ぬものとなった。シード権獲得に貢献した我らが後輩、松田選手・高梨選手をはじめ、法政大学陸上競技部の更なる活躍に期待を寄せ、また「第二の松田選手・高梨選手」が法政二高現役生から登場することを期待して止まない。

(文責:神保 修治)

ようこそ!奥深い鹿の世界へ  

2012.11.11

民俗学研究家・佐伯仁さん(13期)が“鹿”を語る

正倉院画像.jpg▲ 画像提供:中島 明道氏(クリックすると画像が拡大します。)佐伯仁(13期)氏は去る11月11日(日)午前10時から約90分間、鎌倉生涯学習センタ-において、「暮らしに息づく民俗学シリ-ズ」第12回目の講演を行った。
 佐伯氏が民俗学に拘る理由は、先祖から現在に継承されてきた季節毎の節目の行事や祭事、その中にある目に見えないもの、合理的でないと思えるものが神・人・自然と調和して生活の知恵となっていることを、もう一度見直したいからだと言う。

 さて、今回のお題は「鹿が鳴く」。「奥山に 紅葉踏み分け鳴く鹿の 声聞くときぞ 秋は悲しき」(古今集)とあるように鹿は秋の代名詞。俳句の季語であり、花札の鹿と紅葉の図柄を思い起こされる御仁も居られるだろう。鹿の交尾期は秋、鹿が鳴くのは牡鹿が雌鹿を呼ぶ求愛行動。この時期の風物詩、春日大社の「鹿の角切り」は気の荒くなった牡鹿が樹木や人に害を及ぼさないようにとの配慮。万葉から継承されている伝統行事だそうだ。(因みに鹿を詠んだ歌は万葉集60首、古今集10首とのこと。)
 ところで、人と鹿との結びつきは古く原始の頃から。狩の対象として縄文の猪、弥生の鹿と言い、銅鐸の絵柄にある動物では鹿が135頭、猪は27頭でダントツの人気だったという。「しし」とは獣肉のことで古くは「かのしし」(鹿)に「いのしし」(猪)と区別していた。肉だけでなく角は細工物、特に霊験あらたかな若角(鹿茸)は強壮剤として現在でも珍重されている。皮は防護防寒に使用し、着物の図柄に写した“鹿の子絞り”や和菓子の“鹿の子”、甲州印伝の皮細工、郷土玩具や硯箱、屏風、鉢や皿にも鹿は意匠化された。柿右衛門の鹿と楓は日本美意識の一つの極みと言えるだろうと。

 元をたどれば我等のご先祖様が「鹿」に神を認めてきたのは、鹿には立派な角があり、その角を聖なる樹木の枝と見なし、疾走する速さに人を超えた能力を意識したのではないかという。中華思想の影響か『記紀』には白鹿を神と崇めた記述もあるそうだ。また、鹿の角は毎年、春先に生え変わるので、稲作の始期を告げる神の使者(豊穣の使者)と見なしたし、生え変わる角は生命再生の象徴でもあった。そして素朴な山神としての鹿は中世に入ると奈良の春日神社や安芸の厳島神社で神の使いとして神聖視されるようになる。(一方で鹿が田畑に被害を及ぼすので悪霊とも考えられていたようだ。)諏訪大社の“御頭祭(おんとうさい)”や源頼朝が考案した“草鹿式(くさじししき)”の祭礼は脈々と現在も行われている。余談だが京都“金閣寺”の正式名称は“北山鹿苑寺”。これはお釈迦様の徳を慕って仏教の聖地“鹿野苑”に肖って名付けられたという。

 佐伯氏の講演は、毎回、分かり易さをモットーにスライドを有効に使って進めている。まず冒頭に「本日の目次」を置き、参加者に「観るポイント」を明示し、「見る意識」を持続させる工夫があり、全体を4章~5章に区切った上に夫々に各ポイントを述べ、「まとめ」で締めくくる。これによりダラダラになりがちの「講演」に「しばり」を利かせているのも見る人、聞く立場を考慮しての処理法だろう。そして民俗学をベースにしつつ、日本の伝統文化の関連事項を贅沢に用意周到に盛り込こんでいる。講演を補うスライド画像はどれも美しく懐かしく癒される。きっと今回も聴講者は鹿を題材にしたお話に「う~ん」と鳴かされた事だろう。

(文責:原 和彦)

牽牛・織姫も驚きの民俗学の世界  

2012.07.07

民俗学研究家・佐伯仁さん(13期)、〝たなばた〟を語る

hiroshige.jpg▲ 初代歌川広重作「市中繁栄七夕祭」(画像提供:中島 明道氏) 佐伯仁氏(民俗学研究家:13期)は、去る7月7日(土)午前10時から鎌倉生涯学習センタ-内において「七夕と日本人」と題し、約一時間半の講演を行なった(NPO自然環境と人間生活を考える会主催)。
 「暮らしに息づく民俗学」シリ-ズ第11回目となった今回のテ-マは、正に「たなばた」。講演目次は①七夕が7月7日の理由は?、②中国と日本で違う星祭、③なぜ七夕をタナバタと読むのか?、④水の神事と“手技”上達の祈念祭、⑤日本に“星の神”はいるのか?・・・ここで詳細に触れるには、余りにも紙面が足りない。以下、要点キーワードのみ。
 中国最古の詩集『詩経』が語る牽牛・織女伝説。古代中国宮廷の「乞巧奠(きこうでん)」という習慣。日本の「記紀」にある“棚機姫(たなばたつめ)”の伝承。陰陽五行説の“重日”、五節句の一つであり、夏秋交替の節日。苗代へ種を蒔くタナバタ(種播)祭りと呼ぶ行事。更に竹・笹に象徴される“祓い”の霊力をもつ水神の信仰。そして日本にもいた星の神=妙見菩薩。

 佐伯氏の講演は「民俗学とは?」の基本・根本を優しく易しく、多方面より語り込まれるので毎回聴いていると、キーワードだけで、おおよその見当がついてしまう。実に素晴しい講演だ!氏の民俗学の洗礼をお受けになりたい方は、佐伯氏の著作『歳時記こころ散歩 51 ~日本の四季 日本人の心映え~』を購読の上、次回講演にお越し召され。(今回の講演は同書101頁「星を仰ぐ」を参照)
 佐伯氏は「まぁ始めれば一時間半という短さですが、まとめる迄が四苦八苦の迷い道。どう“画像”と“言葉”で伝えれば、分かり易いか。難しい事をやさしく云う事、これが一番、難しい。終わってみれば『反省』ばかり・・・。」と自嘲気味に謙遜していたが、会場はリピ-タ-に上乗せの新規の参加者で30名定員の所、36名の大盛況、大満席であった。
 蛇足ながら、「万葉集」4,500首には七夕にちなむ恋歌が130余首もあるという。「新古今和歌集」には「恋ひ恋ひて逢う夜は今宵天の川 霧立ちわたり明けずもあらなむ」(詠人知らず)という歌がある。星のロマンに魅せられた、はるか昔の王朝人の心情が伝播し、現代の小生の心をも焦がす一日となった。

  (文責:原 和彦)

【特別寄稿】 万葉人は夏バテ知らず!-土用の丑の日に鰻を食す-

民俗学研究家  佐伯 仁(13期)


特別寄稿.png 万葉集 巻一六「石麻呂に 吾物申す 夏痩せに よしと云ふ物ぞ うなぎ取り召せ」(大伴家持)というのがある。これは万葉期から鰻が食べられていた証拠として知られている。確かに7月20日からは8月6日までの18日間、暦では夏の土用で1年中で一番暑い期間だ。
 暑い丑の日に鰻を食べると夏の体力カバーになるといったのは、江戸期の科学者、平賀源内が鰻屋に頼まれ考え出したコマーシャルのようだ。源内は万葉集を知っていたのだろう。歌を詠んだ大伴家持は痩せ細った石麻呂をからかっている。さらに家持はこの歌の次に、石麻呂さん鰻を取ろうと川に入り、流されないでくれたまえ、痩せていても生きていた方がいいからね、という意味の歌を残している。友情ある思いやりだろうか、それとも意地悪だろうか。王朝人の心理は分りかねるが、体を気遣う心は今も同じだ。
 だが古くは「夏バテ」という表現はないが、現代でもこの時期の鰻屋は大繁盛!栄養学的にはそれなりの効果があると思うが、民俗学的にいえばそれは「知恵」の産物・・・明治期の食通の言葉に「春、苦み、夏は酢のもの、秋辛味(からみ)、冬は脂と合点して食え」というのは民俗学の視点からいえば満点の答え。つまり時期に応じた「食」を摂る。この知恵が民俗学の精隋・・・このこころに従って箸をとれば夏バテの気遣いなし・・・先人の知恵こそ学ぶべきチャンスなり。

(上記寄稿文は、同窓会広報部会の依頼よりお寄せいただきました。)

いよいよ始動、男女共学化・新校舎建設へ!  

2012.06.02

平成24年度定時総会開催される

DSC03910.JPG▲ 母校教職員による男女共学化・新校舎建設に関する説明。出席者からは熱心な質問が多数寄せられた。 去る6月2日(土)、ホテル精養軒(神奈川県川崎市中原区小杉3-10)において、平成24年度定時総会が開催された。母校は男女共学化・新校舎建設の方針を報道機関に発表し、いよいよ始動した母校の一大改革をいかに支援するか、出席した70名近い同窓会員は母校への熱い想いのもと、6議案の審議に臨んだ。

 定時総会開会に先立ち、母校教職員より男女共学化・新校舎建設に関して、詳細なる説明がなされた。北詰昌敬法政二中高副校長がスライドを用いながら、新時代の法政二中高像を説明すると、会員からは輝ける我が母校の未来像に期待の声がもれた。何よりもこの母校の未来像を実現するのは、我々同窓会員をはじめとする募金である。伊東利晴法政二中高事務長より募金の目標額について、10億円という額が示されると、会員からは熱心なる質問が出され、母校の未来を支援しようとこの募金運動に挺身する意気込みが会場を満たした。

 母校の一大改革への支援の意志を固くする中、平成24年度定時総会は開催された。今年度の定時総会には以下の重要議案が上程され、法政二中高史上最大の教学改革を支援するため、同窓会の態勢準備が進められることになった。

 《 議案審議内容 》(括弧内は説明者役職・氏名、敬称略)
  第1号議案:平成23年度活動報告(理事長・神保修治)
  第2号議案:平成23年度決算報告(会計・森 雅浩)
  第3号議案:平成23年度監査報告(監事・印東満男)
  第4号議案:平成24年度活動計画案(理事長・神保修治)
  第5号議案:平成24年度予算案(会計・森 雅浩)
  第6号議案:年会費値上げ及び終身会費制度新設に伴う会則改正案(理事長・神保修治)

DSC03914.JPG▲ 議長を務めた品田秀行会長(24期)をはじめ、役員一同も出席者からの熱心な意見に耳を傾けた。 上記議案の中で最も議論が白熱したのは、第6号議案「年会費値上げ及び終身会費制度新設に伴う会則改正案」である。これまで同窓会財政収入の大半は、卒業生から納められる入会金で占められており、「入会金依存」の実態は認めざるを得ない状態にあった。近年、少子化という社会的事象に加え、同窓会の強力なる活動の基礎となる健全財政の更なる構築が求められており、この年会費値上げ及び終身会費制度新設、またそれに伴う同窓会会則改正はそうした要請に応えたものであった。審議においては、年会費値上げによる会員離れの危惧や同窓会の更なる財政努力の必要性を求める声が寄せられたが、品田秀行会長(24期)や神保修治理事長(17期)の同窓会を取り巻く状況に関する真摯な説明や同窓会の更なる努力の実現を目指す発言に、会員からは賛意の声もあり、採決の結果多数の賛同を得て改正は実現した。

 以上、例年にも増して重要議案がならんだ定時総会となったが、6議案全てが承認され、法政二高同窓会は平成24年度の新たな一年をスタートさせた。母校の一大改革と共に今年度の同窓会の更なる活躍が期待される同窓会定時総会であったといえよう。

同窓会会長賞の表彰式実施される

 白熱した議論を終えて懇親会に場を移し、母校の新たな未来像を親しく語らう一時となった。今年度の懇親会では同窓会会長賞の表彰式も行われ、昨年度母校の名を高めた2人のOBにその栄誉が与えられた。

DSC03947.JPG▲ 左から佐藤季昭氏(21期)・品田会長・福田匠氏(67期)。 一人は、21期の佐藤季昭氏。既に同窓会ホームページでも紹介したが、同氏は長年花粉の研究から生まれた健康食品の普及に努めており、その活動の中でスウェーデン・日本両国の友好と発展に寄与している。その功績からスウェーデンの歴史ある勲章であるポーラスター勲章を受章し、本多宗一郎氏、井深大氏、緒方貞子氏などの受章者と共に歴史に名を刻んだ。品田会長から同窓会会長賞の表彰状を受けた佐藤氏は、「同窓会長賞を得たことは大変な光栄である。今後も常にあきらめないで活動を行っていきたい」と、意気込みを新たにした。
 もう一人の受賞者は、67期の福田匠氏。こちらも既に同窓会ホームページで紹介したが、同氏は昨年度母校軟式野球部の学生監督として指揮を執り、関東大会で27年ぶりに優勝、歴史ある軟式野球部を全国大会へと導いた「名将」である。品田会長から同窓会会長賞の表彰状を受けた福田氏は、「軟式野球部の活動の中で多くのOBの方々に応援していただく機会があったが、改めて声援をいただいたことにお礼を申し上げたい。微力ではあるが自分も母校のために活動が出来たらと感じている」と述べ、現在法政大学3年生らしい清々しい挨拶を行った。

DSC03917.JPG▲ 白熱した議場から一転。懇親会は法政の旗のもと、和やかに歓談が交わされた。 同窓会会長賞の表彰式を終えて、大屋文彦同窓会顧問(2期)の乾杯の音頭がなされると、賑やかに懇親会の歓談が始まった。やはり話題の中心は母校の一大改革、2人の同窓会長賞受賞者であった。
 時間はあっという間に過ぎ去り、いよいよフィナーレは大八木勇夫同窓会副会長(19期)のエールによる校歌大合唱である。今年度の肩を組んでの校歌大合唱は例年とは異なる趣があった。すなわち、いよいよ始動した母校の男女共学化・新校舎建設への意気込みが校歌を歌う一人ひとりの出席者から感じられたためである。遂に動き出した母校の一大改革、我々法政二高OBがどれだけ力を結集できるか、その力量が試されている。

(文責:田上 慎一)