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2005年08月03日 開設    
2021年07月30日 更新

文月

日本こころ歳時記

違いを知る若き国際人へ贈る日本文化ガイド~七夕に想う~

 夏の夜のロマンは七夕だ。織女と牽牛が年に一度だけ出会うという伝説は、中国の後漢の時代(20~220年頃)に生まれている。この恋い物語の伝説を唐の時代の文人たちもてはやし7月7日の晩、開き恋人たちへ想いを寄せて星空を仰ぎ酒を酌み交わした。

 わが国では奈良期の貴族たちがこの風流な遊宴を歓迎した。山上憶良もその一人で『万葉集』には七夕に因む和歌を12首残している。この他に『万葉集』には七夕伝説をテーマにした作品がなんと130首も集められていて、『古今和歌集』にも「秋の部」に七夕の和歌が見られる。

 平安期の王朝人にとって、恋の切なさは我が事のように耐えがたかったに違いない。そのラブロマンスが手の届かない遥か彼方の星空の出来事だけに、彼らは憧れた事だろう。、皛なぜ「七夕」を「タナバタ」と読むのか?

 この呼び方に疑問をもった諸君はいるだろうか?なんとも不思議な読み方ではないか!なぜ・どうして?と疑問を抱く以上に全く普通に我々は「タナバタ」と呼んできた。

 この呼び方は我が国の「棚機つ女(たなばたつめ)」信仰に由来する。棚機つ女とは水の神に捧げる神聖な衣を織る神女をさす。河畔や湖畔、海辺に高い柱を立で支えた柵をつくり、小屋のような囲い、その場所で神女は籠って衣を織ったという。7.png

 また「七夕」つまり「七つの夕べ」という字が当てられるようになったのは、古く中国で7月7日に宮中で行っていた「乞巧奠(きこうでん)」という風習に由来する。この日の夜、織女伝説にあやかり、宮中では中庭には祭壇をつくり供物を供え、女性たちは七つの穴のある針に五色の糸を通し、裁縫の上達を祈って祭った。

 「乞巧」とは「巧み(裁縫の技の上達)を乞う」事であり、「奠(でん)」とは「祭り」の意味を持つ。
 江戸期、庶民し笹(神へ捧げる植物)に願い事を書きいた短冊を結び、翌日、川へ流し、今もなお「お習字がうまくなるように」と「手技(てわざ)」の上達を願う言葉を書く理由も分かるというものだ。今は川へものを流せないが、昔、人々は川を司る水の神へ願い事を叶えて貰おうとした名残りといえる。なぜ川へ流したのか?

 それはお盆の精霊流しのように川へ洗い流す事が「祓い・浄め」の意味だった。
 また稲作をする農村では七夕の頃の七月上旬(旧暦)には水田へ水を入れる「水口祭り」を行う時期でもある。風流心より、大切な生活の節目の行事として行われた。

 いずれにしても「七夕」は星の伝説、棚機つ女の信仰、七(奇数)を尊ぶ陰陽道、乞巧奠の風習、水に流す祓いの神事、稲作の農事暦などが渾然一体化し継承されてきた複雑な行事なのだ。

 国際人とは自国の文化という鏡で異文化を映し“違い”を理解する事が第一条件だ。
 各民族が互いに違いを認め合ってこそ国際化といえよう。誇りをもって自己への認識を深め、相手国を理解するためにも、若人よ!確かな鏡をもとう!

S. Y. J