師走
日本こころ歳時記
違いを知る若き国際人へ贈る日本文化ガイド~鐘が響く~
一年の総仕舞をする十二月。各寺院では大晦日の十二時から除夜の鐘を撞き出す。
大晦日も午前零時になると、寺々で撞きだす鐘が百八つの煩悩を一つ一つ打ち破っていきます。 寺院の鐘は元来、朝夕に撞くのが習わしだ。朝、撞く鐘は暁鐘といい、眠りを覚まさせるためで、夕方の晩鐘は迷い易い心を戒めるもの…。
鐘には梵鐘(大鐘・釣鐘)と喚鐘(小鐘)があります。喚鐘はおもに人々を呼び集めるのに使い、除夜に撞くのは梵鐘(ぼんしょう)。なぜ鐘をつくのか?それは古くから鐘の音や鈴の音に不浄を淨める働きを先祖は意識してきたからだ。つまり除夜の鐘は一年の不浄を淨めるために撞く。
その除夜とは除目(じょもく・旧年を取り去る日)の夜をさし、大晦日の夜を意味する。この夜、人々は鐘の響きに耳を傾け、越し方、行く末に思いを馳せる。師走の空の下、星々は霜夜の闇に光り、鐘の音は凍てつく風にのり余韻を残す…。
その師走の語源はどこからきたか?それは古くは十二月に亡き祖霊(先祖の霊)を祀る行事があり、僧侶が駆け足で檀家廻りをした。そこからシハセ(師馳せ)に由来という説が有力…だが「年果つる月」「物事をしはつる月」という説もある。
忙しいだけでなく十二月は早く春を呼びたいと願う月でもある。歳時記には春待ち月、梅初(うめはつ)月があり、新しい年に人の心を浮き立つ。そんななかで一年を振り返ると、希因が詠んだ句-「行く年や同じことして水車(みずぐるま)」が一層、悔恨の情が胸に迫る。
いずれにしても大晦日は独り静かに「年越しの湯」に身を沈め立ちのぼる湯気に想いを馳せてみては如何?そして洗い場ではまず足の裏から洗ってほしい…足の裏は目立つ事なくこの一年、支え通してくれた…丁度、人生において誰もが誰かに支えられて生きていると語るかのような足の裏に心からの感謝を込めて“有り難う”と声を掛けながら…。
国際人とは自国の文化という鏡で異文化を映し“違い”を理解する事が第一条件だ。
各民族が互いに違いを認め合ってこそ国際化といえよう。誇りをもって自己への認識を深め、相手国を理解するためにも、若人よ!確かな鏡をもとう!
S. Y. J